人生もお金も海外分散する話

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自分の国を捨てて生きるということ

今日は3/11。あの震災から早6年。午後2時46分に黙祷を捧げました。亡くなった方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。人生は何があるかわかりません。今を生きている我々はしっかりと前を向いて、最前の選択をして生きて行く。生きたくても生きられなかった人達のことを忘れてはいけない。そんなことを思った1日でした。

 

さて、今月は米国雑記シリーズが続いていますが、今日は、私が出会った移民の方々の話を書きます。

 

中南米からの移民男性

当時居住していたアパートで、清掃やメンテナンスの仕事をされていました(janitorと言います)。何回か話しかけたことがあるのですが、あまり笑顔は見られず。出身地を忘れてしまったのですが、”もう自分の国には帰れない。仕事もないし政情も不安定だから。でも自分の国の料理が懐かしい。”と。悲しそうな目をしていました。

 

ウクライナからの移民女性

英語のクラスで出会ったバツイチのシングルマザー。無職で生活保護を受けながら、一人娘を学校に通わせていました。強烈に覚えているのは、”日本のような豊かな国の人がなぜわざわざアメリカに来て英語を勉強したり働いたりするのか”という発言。もし自国が豊かであったなら、アメリカで生活する羽目にはならなかった、という気持ちの裏返しによるものです。

 

■ブラジルからの移民夫婦

こちらも公共の英語のクラスで出会いました。旦那さんの方は、自国ではマネージャーだった、移民だと碌な仕事がない、ファーストフード店や清掃員くらいしか職がない、と嘆いていました。能力の高い人が低賃金の職業に従事するのは、さぞ精神的にもきつかったことでしょう。

 

アメリカ生活に対して不満が溜まっている移民たちは、英語のクラスでガス抜きをします(移民でない自分もでしたが)。アメリカはここがおかしい、こんな差別を受けた、アメリカ人はバカじゃないのか、などなど、不平不満のオンパレードです。授業をされていた若いアメリカ人女性の先生がたまりかねて言いました。Anybody who loves America?? 

 

生まれ育った自分の国には希望がない、仕事がない、生命が脅かされる危険がある。移民という選択をする事情は様々です。自分の国を捨てる、帰れる国がない。考えただけで恐ろしいです。移民の方々の話を聞くにつれ、日本という国がいかに豊かで、自分がいかに恵まれているかを痛感せざるを得ませんでした。

 

英語を学ぶにしても、彼等は明日の生活に直結しているため必死なのです。たくさん喋ろうとするので会話の上達も早い。遠慮してたら一言も話せなくなってしまうので、私も負けじと喋ろうとしました。必死に生きている人達から学び、考えさせられたお陰で、多少なりとも強く生きていく力を与えられたのでは、と思います。

 

トランプ政権になり、移民への差別が増していることを思うと、いたたまれない気持ちになります。でもその一方、あの移民の方々が、たとえ小額でも投資をしていて、米国の強い経済の波に乗り、今少しでも豊かな生活をしていてくれたら、と思います。

 

みんなに幸あれ。

 

Many happy returns.